驚異の大地秋吉台

 秋吉台の展望台に立つと、眼下に広がる大草原の景観は、言葉ではとても表現できない。なだらかなスロープ、視界の及ぶ限り累々と続く石灰岩、点在するドリーネと呼ばれる窪地、この草原はなぜか“生きている大地”を思わせる。
 秋吉台は日本最大の石灰岩台地である。石灰岩は130平方キロにわたって分布し、その暑さは数百メートルに達するという。石灰岩にびっしり詰まった化石を調べると、フズリナをはじめ珊瑚、ウミユリ、腕足類、三葉虫、アンモナイト、二枚貝、巻貝など古生代に生存した生物であることがわかる。秋吉台科学博物館の元館長であった太田正道博士は、秋吉台の成因、発達に大きな関心を持ち、これら化石の分布状態や珊瑚礁の実地調査などを続け、秋吉台は3億5000万年前の石炭紀・二畳紀のころは珊瑚礁であったことをつきとめた。つまり秋吉台は大昔、南海の海上に見え隠れする珊瑚礁だったのである。そして、それを証明するのが石灰岩に含まれているフズリナなどたくさんの化石類なのである。

 

ヤベオオツノジカの骨格標本
(秋吉台科学博物館)

オオツノジカの雄姿
 吉台科学博物館(山口県美祢市秋芳町)に、ヤベオオツノジカの見事な骨格標本がある。背丈2.5メートル、体長2.5メートル、左右の角冠距離92センチという大形。その横にはニッポンザルの骨格標本もあるが、ともに、かつての秋吉台に住んでいた。
 草原にポッカリ口を開けた竪穴は、自然がつくった危険な落とし穴であり、その深さはときには100メートルにも達することがある。大地を歩く動物たちにとって、竪穴への落下はそのまま死につながる。何万年も前にできた竪穴は、そのころ落下した動物の骨を現在まで保存しているわけであるが、その最も古いのは5000万年前の東洋ゾウ、揚子トラ、ヒョウ、ニッポンサイなどである。15万年前のものでは、トラ、ナウマンゾウ、ヤベオオツノジカ、ヒグマ、オオカミなどの骨も発見されている。
 昭和47年12月、秋吉台伊佐セメント採石場で、成体、幼体2個分の骨がまとまって発見された。これをもとに横浜大学の長谷川義和博士が復元したのがこの標本。1メートルもある美しい大角を振りかざして草原を疾駆したオオツノジカの雄姿を彷彿とさせるのである。

 

秋吉台造山運動の話

 大正12年ごろ、一人の東大生が卒論研究のため秋吉台で地質調査をしていたとき、不思議なことを発見した。地層は本来、上の方が新しく下の方が古くなっているが、秋吉台では、高いところに古い時代の化石が、そして低いところや谷底からは新しい化石が見つかり、地層も下になるほど新しいという、全く逆の順序に積み重なっていた。大発見である。
 大学生は秋吉台の逆転構造を卒論にまとめ、世界中の地質学者に大反響を呼んだ。この大学生こそ、秋吉台の逆転構造を最初に発見した小沢儀明博士であった。
 珊瑚礁として生まれ、発達した秋吉台は今から約2億年前、二畳紀の終わりから三畳紀の初めにかけての西日本最大の地殻変動により、750メートルもの厚さをもつ石灰岩層は、敷き布団を折りたたむようにたたまれた。これが秋吉台造山運動と呼ばれる地殻変動であり、これを境に秋吉台は海中から陸に姿を現してくる。

大理石の誕生

 高い山として陸上に突出した秋吉台は、石灰岩で形成されているため、雨に溶けながら少しずつ低くなり、典型的なカルスト地形を作り出していった。草原に蟻地獄のようなドリーネや、ところどころに不気味な口を開ける竪穴、横穴など……、他の山ではみられない地形がいたるところで見られる。
 中生代末になると、火山活動が盛んになり、秋吉台周辺でもマグマが盛んに吹き出した。その熱のため、石灰岩の一部は結晶質石灰岩、つまり大理石となり、秋吉台周辺には接触交代鉱床ができた。奈良の大仏さまを作ったという有名な銅の鉱床もある。
 やがて新生代第四紀(約50万年前)になると秋吉台はほぼ現在の姿となり、ゾウやサル、オオツノジカなどが駆けまわり、地下では秋芳洞のような洞窟ができはじめた。そして縄文、弥生時代を過ぎ、現在の姿になるのである。