目次
このページ
2ページ
3ページ
4ページ

源平決戦の舞台

 下関市みもすそ川町からロープウェーで火の山に登った。標高268メートル、火の山の名は、昔ここに合図用の蜂火(のろし)台があったことに由来する。山頂の展望台からは関門海峡が一望のもと。東方、長府の沖に、寄り添うように浮かぶ2つの島影―、これが満珠・干珠。「日本書紀」仲哀天皇の条に「神功(じんぐう)皇后が豊浦津(とよらづ)の海で如意珠(にょうだま)を得た」とある。その珠に由来する澳津(おきつ)・平津(へつ)の両島がこの2つの島といわれる。
 満珠・干珠から首をひと振り西へずらすと、関門海峡の西口、彦島が見える。かつては島だったが、度重なる埋め立てと、漁港閘門(こうもん)や関彦(かんげん)橋、さらには彦島大橋の架設で陸つづきとなり、いまは島の実感はない。

満珠・干珠
火の山より満珠・干珠両島を望

 満珠・干珠と彦島のほぼ中間、本州と九州の陸地が、たがいに突き出て、最も狭い海峡をつくっているあたりに関門橋が架かる。長さ1068メートル、桁下高さ61メートル、その真下あたり、海底部780メートルのところに、関門国道トンネルが通っている。
 関門橋が架かっているあたりが早鞆の瀬戸、海峡中最も潮流が速く、潮の干満によって東流、西流と一日4たび流れを変える。満ち潮どきが響灘に向かう西流、干潮時が周防灘に向かう東流、最大流速は9ノットにも達する。この早鞆の瀬戸に面した本州沿いの海岸線一帯を壇之浦という。
 満珠・干珠から彦島にかけての景観―、その中から、白波を蹴立てて行き交う船影や、臨港地帯にひしめく銀色の石油タンク、赤や黄のクレーン、海峡をまたぐグリーングレーの関門橋など、現代の点景をすべて取り去れば、この海域はそのまま825年前の源平決戦の舞台となる。
 すなわち、寿永4年(1185)3月24日、源氏の総大将源義経(みなもとのよしつね)の軍船が集結したのが満珠・干珠あたり、平氏の大将平知盛(たいらのとももり)が拠ったのが彦島、そして、勝敗を決したのが流れ速き壇之浦であった。