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庶民の暮らしの中で…
明治から昭和、平成へ
不動院のある広島市の牛田新町(平成4年撮影)
 不動院は、時の権力者と密接な関わりを保ちながら盛衰を繰り返してきた。このため庶民は自由に参拝もできない時期もあった。明治維新以降、不動院はようやく権力者の手から離れて、庶民の暮らしの中に入ってゆく。
 不動院の周辺は、昭和の初め頃まで一面の田圃だった。雀の大群が不動院の本堂の中二階の枠木に巣をつくり、鳴きまわっていた。農家の人たちは朝夕、農作業の後先に薬師如来像を拝み、金堂を鎌などの農機具の置き場にしていたという。
 また不動院は、桜の名所で春は大勢の花見客で賑わっていた。近郊の児童、生徒たちは、文化財の見学を兼ねて、次々と遠足に訪れていた。山陽女子高校などでは、不動院に遠足に出かける生徒のために「不動院見学の手引」という小冊子をつくっていた。境内は付近の子供たちの格好の遊び場となり、夏は盆踊り、緑日には青年団の素人芝居が開かれていた。

 不動院の近くに住むある老人は、不動院の思い出を次のように語ってくれた。「毎年11月には不動院の楼門の下に祭壇を設け、町内の亥の子祭を行っていました。当時は食糧の配給制の時代で、参加した子供たちに与える菓子がありません。そこで握り飯をつくり、竹の皮に包んで配りました。子供たちは大変喜んで、嬉々として不動院の池の上の丘でこの弁当を食べていたのを覚えています。」

 太平洋戦争の戦前から戦後にかけて、全てが乏しく、すさんだ世相の中で、不動院は娯楽や文化の中心となり、地域の人々の心にやすらぎを与え続けてきた。不動院は、その長い歴史と伝統を大切に守りながら、地域に向かってより開かれた寺になることを目指している。

 

 

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