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瀬戸内海交通の拠点
貿易、観光でも飛躍続く

 原爆によって壊滅した広島に、復興の槌音が響きはじめた。戦後間もなくの昭和22年には、戦前から進められていた広島商業港と工業港の工事が完成し、これによって広島の復興は大きく寄与されることになる。
 昭和23年、広島港は開港指定を受け、築港以来初めて軍事的制約をはなれて国際貿易港となった。さらに昭和26年には、国の重要港湾に指定され、整備拡充も促進されてゆく。
 また、宇品は瀬戸内海の海上輸送交通の重要な拠点である。四国、九州や沿岸の地区を結ぶフェリーや水中翼船、高速艇などが行き交い、港は活気にあふれている。一日の平均出入り船舶は、200隻余り、乗降客は1万1000人余り、この乗降客の数は全国の港の中で8番日にランクされている。
 国際観光港としての役割も年々高まってきている。最近、瀬戸内海へのクルージングが注目を集めるなかで、世界各国の豪華観光船が入港し、港は華やかな国際色に彩られるようになった。また広島市に本社がある瀬戸内海汽船では、新しい海洋レジャーとして、広島湾クルーズを始め、500人乗りの「銀河」を就航させるなど、瀬戸内海でも本格的なクルーズ時代を迎えている。
 一方宇品周辺では、戦後も埋立による土地造成が進み、工場の進出が続いた。このうちマツダ(東洋工業)は大手の紡績工場の跡地を買収して宇品に進出、さらに宇品東岸から仁保沖にかけての埋め立て地を取得して昭和41年までに、国内で最大級の規模の乗用車専用工場を建設した。
 マツダの場合、臨海部に工場を立地した利点を生かし、製造した車の90%近くを海上輸送することにより、大消費地から離れているハンディキャップを克服し、物流の合理化につなげた。
 平成2年5月には、広島港に開港以来3万隻目の外国貿易船が入港、港は歓迎行事で賑わった。広島港は世界の主要な港と結んで、貿易を進めており、平成11年の貨物取扱量は外貨5047トン、内貨1万2665トンと中四国経済圏の要であることを裏付けている。
 しかし、歴史の流れの中で、宇品からひっそりと姿を消し、あるいは消えようとしているものもある。その一つが旧国鉄宇品線である。明治27年、軍用鉄道として建設され、軍需物資や兵士の輸送に当たり、戦後も貨物輸送を続けてきたが、昭和61年9月、92年間の歴史にピリオドを打った。


広島港フェリーバース桟橋


海田コンテナターミナル


草むす旧国鉄宇品船の線路
(平成3年撮影)


宇品駅のプラットホーム跡