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小林一茶
古林一茶の碑 小林一茶の句 小林一茶

 一茶は30歳代の後半、2度にわたり伊予路を訪れている。俳諧の師であった竹阿の没後、8年間にわたり師の跡を慕って西国行脚の旅に出た。このことは紀行文「寛政紀行」に詳しい。
 寛政7年(1795)讃岐を発した一茶は、2月に三島神社に参詣し、この句を残した。さらに新居浜にいたり「長閑さや雨後の縄はり庭雀」と詠じている。その後今治、北条を経て松山を訪れ、栗田樗堂(ちょどう)らと親交を重ねた。
 一茶は宝暦13年(1763)信州柏原の生まれ。65年の生涯を閉じたのも同地である。3歳で母を失い、8歳で継母を迎え、10歳で弟が生まれたころから家庭での不幸が始まったとされている。
 20歳にして俳諧師一茶の姿が世に現れるのだが、西国行脚の跡は郷里柏原で父の最期をみとり、多くもない遺産相続争いを継母や弟たちと繰り広げる。この争いは10年続き、解決後、52歳で結婚する。この後も、妻の死、再婚、再々婚、子供の死と不幸は続くのだが、その生涯に残した7千数百の発句は、逆境にあって野性味と反骨の姿勢に貫かれたものとなっている。文政12年(1827)没。

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