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酒井黙禅
黙禅の碑 黙禅の句 黙禅の肖像

 医学博士。明治16年、福岡県に生まれる。熊本五高より、東京大学医学部を卒業。大正7年、学位を得た翌年、東大俳句会に入って句作をはじめ、俳人長谷川零余子の指導を受け、続いて高浜虚子に師事した。「ホトトギス」同人に推され、課題句の選者になった。
 大正9年、日赤松山病院長として松山に赴任したとき、虚子は「東風の船博士をのせて高浜へ」の句をはなむけに贈っている。
 黙禅は、虚子のこの句に応えるかのように、一生愛媛県を離れず、本務と句作に励んだ。日赤病院長を29年間務め、東宇和郡の町立野村病院開設のためにつくし、その後、道後田高の地に住むようになってからも、診療に従った。
 また、虚子をはじめ多くの俳人を松山へ迎え、21年「柿」、24年「峠」を創刊するなどの他、虚子の後を受けて、俳諧文庫の充実を余生の仕事としていた。昭和47年没。
 一宮(いっく)神社のクスノキの老大木が林立する中に、この碑もまた堂々と座っている。

 裏塀を凌ぎて高き紫苑かな

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