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川端龍子
龍子の碑 龍子の句 龍子の肖像

 明治18年、和歌山市生まれ。日本画家。壮大奔放な大作主義で知られ、日本画に新分野を開いたとして昭和34年文化勲章を受けた。41年4月、老衰のため東京で死去。81歳。
 龍子と俳句の結びつきは、明治40年ころから始まる。当時、国民新聞社に席を得ていた龍子は同僚のアララギ派歌人・平福百穂と親交を持つ。そして国民新聞社を通じ高浜虚子とも結びついてゆく。
 昭和19年に先立たれた夏子夫人の冥福を祈り、龍子は川之江市出身の俳人・深川正一郎とともに昭和25年から6年間にわたる四国巡礼の旅をする。その間に八十八ヵ寺の水墨画を描く。そして画に2句から6句程度の俳句とエッセイをしたためた。すでに、この巡礼より3年前に「ホトトギス」同人に推挙されており、ただものならぬ句風を備えている。
 西条市・安養寺土塀の外側にひっそりと立つこの句碑は、龍子と正一郎の2句1基。さすが龍子の句は、川之江市の椿堂にある「名月や滴るごとき椿の葉」といい、この「―花芒」の句といい、構図も色彩も、さながら絵画的で美しい。

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