前のページ 次のページ

仙波花叟
花叟の碑 花叟の句 花叟の肖像

 旧北条市の古い俳句結社「風早吟社」。その生みの親、育ての親が仙波花叟である。明治7年6月、旧温泉郡河野村の庄屋の長男として生まれた。同23年、文学同好の士と「逞文学界」を結成、その年の夏、子規に依頼して文学講演会を開いた。俳句を始めたのは同26年、松山養蚕伝習所を卒業したころから。虚子、鳴雪の指導を受けた。
 同30年1月、松山で発行された「ほととぎす」第1号には13句を載せている。子規は同31年2月、花叟に「貴兄の進歩せらるるはたのもしけれど、さりとてここで天狗になられては…」と激励の手紙を書き送っている。
 子規没後、霽月とともに松風会を再興したり、雷死久とともに愛媛新報日曜特集俳句欄の選者ともなった。明治末年、俳句から遠ざかり、一時、古墳や星の研究、貝類の収集に凝ったこともあった。
 本名は衡輔。祭魚庵、朝夢庵、作未舎とも号した。昭和15年3月死去。67歳。この句碑は鹿島の北側、海に突出した巨岩の上に、句の中にある腰折山を背景にして立っている。

Copyright© UNIC.LTD. 1977-2012 All Right Reserved.