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夏目漱石
夏目漱石の碑 夏目漱石の句 夏目漱石の肖像

 本名は金之助。慶応3年(1867)東京・牛込に生まれる。明治26年、愛媛県尋常中学校(現在の松山東高)の英語教師として松山へ赴任した。
 漱石が句作に手を染めたのは、この松山時代。当時下宿していた愚蛇仏庵(萬翠荘裏の復元建造物は平成12年7月の豪雨で全壊、また市立子規記念博物館内にも復元物あり)に帰郷中の子規が一時同居し、彼を中心に地元俳人達がここに集まって運座を開いたことが契機。当時、文学者として迷いがあった漱石にとって、俳句は格好の自己表現の道となったのである。
 伊予市下吾川、松林の中にある小さな丘の上に鎌倉さまと称する小さな社がある。この碑にある2句は、子規に送った句稿の中にあり、「範頼の墓に謁して二句」の前書きがついている。蒲冠者(かまのかじゃ)ともいわれた源範頼(みなもとののりより)の墓が伊予路の果てにあるのは疑わしいが、明治28年3月漱石がこの地に遊んだ時の句であろう。
 俳句のほか、随筆・小品・漢詩・評論・研究、そして虚子のすすめで手がけた「吾輩は猫である」にはじまり「明暗」に終わった小説……漱石の大文学者としての足跡は、全集全17巻に及ぶ。大正5年没。

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