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五百木瓢亭
五百木瓢亭の碑 五百木瓢亭の句 五百木瓢亭の自画像

 「ほとゝぎす」の第4号に正岡子規が次のように書いている。「瓢亭の文学に於ける一種の天才あり―」と…。
 この瓢亭、本名は良三といい、もともとが医師である。明治3年12月、旧松山藩士の長男として小坂村(現松山市)に生まれた。県立病院付設松山医学校に進み、19歳で医師開業試験合格。ドイツ語研究のため明治22年上京、子規や新海非風らとの小説会などに熱中する。
 明治27年、日清戦争に召集、看護長として各地を転々。その間、犬骨坊の名で「従軍日記」を新聞「日本」に連載、好評を得る。帰国後は、政治に強い関心を寄せ、次第に文学から遠ざかる。明治32年雑誌「東洋」を創刊するが、後新聞「日本」に復帰し編集長を務める。
 昭和4年にいたり「日本及日本人」政教社を主宰、近衛内閣成立に心血を注ぐ。自らは「我が輩は天下業」と称し、明日の米代がなくとも世界総合論を論ずるという清貧、愛国の士だった。
 晩年は政治的には不遇だったが句作では、かえって秀吟を多く残した。昭和12年6月死去。68歳。

 乏しきを分かちつくして除夜の鐘

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