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石田波郷
石田波郷の碑 石田波郷の句 石田波郷の肖像

 昭和7年、水原秋桜子が主宰する「馬酔木」2月号に「秋の暮業火となりてきびは燃ゆ」など5句が巻頭を飾った。投句者は松山の石田波郷、大正2年の生まれでまだ19歳、これを機には京は上京、秋桜子に師事する。
 昭和12年、俳誌「鶴」を創刊、14に白州「鶴の眼」を出して新人作家としての位置を確立した。同18年応召、出征して胸を患い、手術6回、長い闘病生活にはいる。
 25年、句集「惜命」を刊行したが、その余録を読むと、右上肺湿潤遺骸空洞、人工気胸、血痰、病巣部肋骨、膿肺、断層写真などの文字が目にいたく、ページをめくると「血を喀いて鵙きく顔をかなしむや」「鶏頭よ子よわれ咳をとゞめ得ず」などの句が胸を刺す。
 波郷が自分の手で編んだ最後の句集は「酒中花」、これにより芸術選奨文部大臣賞を受けたが、その年の11月21日死去、56歳。有季定型問いという伝統を踏まえながら、17文字に鮮烈な叙情性を開花させるまでの闘病と作句の生涯だった。この句碑は松山俳句の里めぐり散策コース第10番。

 低頭せり年酒の酔の果にして
 胸の上に雁行きし空残りけり

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