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大原其戎
大原其戎の碑 大原其戎の句

 文化9年(1812)~明治22年。奥平鶯居とともに伊予俳諧の双璧といわれた。明治20年、21歳の青年正岡子規は勝田主税の紹介で、柳原極堂とともに其戎を訪ね、俳諧の手ほどきを受けて「真砂の志良辺」に投句し、初めて子規の句が活字になった。子規は終生、彼を師と仰いだ。
 其戎は通称熊太郎、後、襲名して沢右衛門。代々松山藩御船手大船頭をつとめた。才学に優れ、家業の太物商(呉服屋)は家人に任せて俳諧を楽しんだ。父没後、三津浜の南、大可賀に芭蕉の句碑(あら株塚)を建て、その傍らに草庵を結ぶとともに、全国各地からも句を求めて、記念句集「あら株集」上下2巻を刊行した。この年上洛して桜井梅室の門に入り、二条家から宗匠の免許を得、帰郷後、蕉風をひろめた。
 句は、いわゆる「旧派」に属するものであるが、素直な句風であり、技巧的な試みはない。其戎はやせ型の色白、おだやかで世事にこだわらず、夏はその頃としては派手な浴衣姿で腰に渋団扇を差し、人と静かに話したという。俳句の里めぐり城北コース第1番。

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