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奥平鶯居
奥平鶯居の碑 奥平鶯居の句

 松山市道後・円満寺墓地の片隅にあるこの墓碑。背面に「散と見し―」の句が刻まれている。鶯居は文化6年(1809)の生まれ。松山藩筆頭家老にして俳諧宗匠をつとめた人物。通称弾正。本名は貞臣、別号梅適庵。3300石を給せられ、中央俳壇でも「その人あり」と知られ、大原其戎とともに「伊予俳諧の双璧」と称せられた。
 全国でも7番目に古い俳誌「俳諧花の曙」(松山)の選者となり、この創刊号で彼は「俳諧の相場を定め、口に糊する宗匠にはいまだならず」と述べている。このあたりに筆頭家老の心意気と、月並みの宗匠であることを潔しとしない自覚のようなものが偲ばれる。
 鶯居と其戎は深い親交を結んでいたらしく「花の曙」には其戎が主宰する同人誌の抜粋なども掲載している。晩年は小栗の下屋敷で悠々自適、俳句三昧の日々を送った。句作の師は松山の塩見黙翁、江戸の田川鳳朗、京都の成田蒼虬(そうきゅう)。この二人は桜井梅雪を加え、天保の三大家といわれた俳人である。明治22年没。この句碑は俳句の里道後コース第6番の2。

 ふり出しは能く寝て知らず春の雨。

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