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栗田樗堂
栗田樗堂の碑 栗田樗堂の句 栗田樗堂の自画像

 寛延2年(1749)、松山一の酒造業豊前屋後藤昌信の三男。同業者の栗田家に養子に入り、栗田家7代目として与三右衛門政範を名乗った。長年、町方大年寄役をつとめた。
 俳諧に親しみはじめたのは10歳のころからと思われる。樗堂の名を高めるのは、彼が26歳のとき、はるばると小林一茶が訪ねてきて以来かも知れない。そして52歳のとき「庚申庵」を現在の松山市味酒2丁目の地に営み「庚申庵の記」をものした。余生を風雅三昧に暮らそうと建てた庵である。藤の古木は美しい花房をつけ、いまは愛媛県文化財で名所となっている。
 樗堂の晩年は安芸国御手洗島に隠棲し、そこで没した。65歳。樗堂の作品の多くは、孫娘の夫らの手で写本によって残されている。「樗堂俳諧集」「樗堂俳句集」文集「花筆集」など。
 「辛崎の朧問はばやしじみ売り」「そろそろと若葉になりし老木かな」など、温厚な句が多い。「近世伊予第一の俳人」と讃える人も多い。俳句の里めぐり城下コース第30番の2。

 一日も捨てる日もなし梅の花
 はつざくら華の世の中よかりけり

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