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高浜虚子
高浜虚子の碑 高浜虚子の句 高浜虚子の肖像

 この碑は、東野御茶屋史跡跡保存会の手で昭和33年建立。「この松―」は、虚子生い立ちの地、北条市西の下にある大師堂の大松のことである。
 明治の子規の革新以降で第一人者をあれるとすれば、まず第一番に指を屈するのは虚子である。もちろん実力者としてである。俳壇に尽くした功績は計り知れない。明治の末から昭和30年ごろまで、50年以上、虚子の育成した門人は何万人か何十万人か、彼は絶対の権威者であった。
 虚子の本名は清。伊予尋常中学校(松山中学の前身)で同級の河東碧梧桐の紹介により正岡子規を知り、その影響で俳句を志した。休刊していた俳誌「ホトトギス」を引き継ぎ、非凡な経営力でホトトギス王国を築いた壮年のころは、かなりアクの強さが目立ち敵も多かったが、年をとるにつれ、次第に円熟し、晩年は生き仏みたいであったといわれている。
 愛媛新聞の「愛媛俳壇」の選者もつとめ、県立図書館の俳諧文庫発展にも大きく貢献した。明治7年~昭和34年。俳句の里めぐり道後コース第1番の2。

 遠山に日のあたりたる枯れ野かな

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