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高浜年尾
高浜年尾の碑 高浜年尾の句 高浜年尾の肖像

 高浜虚子の長男。本名の年尾は子規が名付けた。最初は「としを」を俳号としていたが、昭和13年以後「年尾」と改める。
 小樽高商卒業後、旭シルクに勤めていたが、昭和9年退社し、俳人としての生活に入った。もともと中学時代から俳句には手を染めていて、一時中断していたのである。俳壇に復帰後は、関西俳句界の中心的存在となる。
 昭和13年「俳諧」を創刊主宰し、俳句、俳文のほか、俳諧詩、連句俳論、俳句の英・仏・独の3カ国語訳を載せるなど独特・多彩な編集であったが、戦時下の用紙事情などにより、「ホトトギス」に合併した。21年「ホトトギス」の経営を任され、26年虚子に代わって雑詠選を担当し名実ともに主宰者となった。
 年尾は、少年のころから父と一緒にたびたび松山を訪れたが、虚子没後もほとんど毎年、墓参りかたがた訪れた。子規顕彰全国俳句大会には主選者として臨席し、父のふるさと松山を大切にした。また、長く「愛媛俳壇」選者を務めた。明治33年~昭和54年。この句碑は俳句の里めぐり城下コース第4番の2。

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