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種田山頭火
種田山頭火の碑 種田山頭火の句 種田山頭火の肖像

 本名正一。明治15年、山口県防府の大地主の長男として生まれる。山口中学から早稲田大学文学部文学科へ進むも、生家破産のために中退。帰郷し父とともに酒造業を営むが、明治44年失敗し、一家離散。熊本へ移り額縁店を開いたものの、酒に溺れる。
 大正13年、禅修業に入り、翌年出家得度する。僧名・耕畝(こうほ)として同地鹿本郡の味取観音堂守となるが、1年2ヶ月後、長い放浪の旅に出る。敗れ笠を目深に、えごの木の杖をつき、鉄鉢に投げ与えられた米を食み、安宿の片隅に身を横たえながら、九州・中国・四国の山河を漂白。昭和7年、歩き疲れて山口県吉敷郡小郡町(現山口市)の其中庵に定住。同14年、余命少ないことを悟り、死に場所を求めて松山市御幸の一草庵へ。自ら予知した日より10日後の翌15年10月11日没。
 この酒と旅に生きた自由律俳人の師は萩原井泉水。大正3年から「層雲」に投句、生涯に約1万6500の俳句を残す。俳句・随筆・日記・書簡の一切を収めた遺稿は、「山頭火全集」全7巻。どうせこの世は仮の宿――彼の漂白の契機は、母の自殺と関東大震災といわれる。

 俳句の里めぐり道後コース第14番。

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