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内藤鳴雪
内藤鳴雪の碑 内藤鳴雪の句 内藤鳴雪の肖像

 弘化4年(1847)松山藩士藤同人(ふじともざね)の長男として江戸藩邸で生まれた。本名は素行(ともゆき)、俳号の鳴雪は「世の中のことはなりゆきにまかす」、ナリユキ、つまり「鳴り雪」からとったという。
 石鉄県(愛媛県の前身)学務課長、文部参事官を経て、明治22年常磐会宿舎の監督になってから、子規らの文学グループに接し、俳句に熱中、「馬方の馬に物いふ寒さかな」など、洒脱な句風で知られた。ときに鳴雪46歳、26歳の子規の門下生だったが、俳句は誰よりも熱心、とくに「猿蓑(さるみの)」を精読、凡兆を研究した。
 その恬淡な人柄は子規門下でも敬愛され、つねに翁の尊敬を持って呼ばれた。請われれば各地の後援会や句会にも出かけて親しまれ、自らも「俳句幼稚園の保母」をもって任じた。
 大正7年、この碑の除幕式に帰郷した翁は「私のごときものの記念というよりは、故旧に対して厚い同郷諸君の徳誼表彰碑だ」と謝辞を述べた。同15年死去。辞世は「ただ頼む湯婆ばかりの寒さかな」。新聞社などから郵送された選句料が、封も切らないまま残され、中には期限の切れた為替なども見つかった。清廉の人であった。

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