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野間叟柳
野間叟柳の碑 野間叟柳の句

 本名は門三郎。元治元年(1864)松山藩士の家に生まれる。3歳年下の子規とは家も近く、末広学校、勝山学校と同窓であり竹馬の友であった。明治14年愛媛師範学校入学、同17年より教員生活に入る。
 父が奥平鶯居門の宗匠で「一雲」と号す人であったため、早くから発句に親しむ。やがて下村為山に師事。松山高等小学校在職中の明治27年、同校校長であった中村愛松・伴狸伴・叟柳の3人が発起・主唱者となって開いた句会が“松風会”の発端である。以来、同校教員を中心として、週1回の句会を重ねる。やがて同28年、日清戦争従軍記者となった正岡子規の歓送会を機に、この松風会と子規の交流が始まる。
 子規が帰国後、夏目漱石の下宿愚蛇仏庵で療養生活を送った52日間は、松風会の無上の勉強の場となった。やがて帰郷する子規の送別会の席上、叟柳は「行く秋を君帰りけり帰けり」と詠んだ。
 松山第三小学校校長・第一小学校校長を経て、晩年は松山市の私学第一課長の職にあったこの人の、松風会への思いは並々ならぬものがあり、晩年に及んでもその重鎮として地方俳壇に尽くした功績は大きい。昭和7年没。

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