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波多野晋平
波多野晋平の碑 波多野晋平の句

 明治17年、山口県萩市に生まれる。萩中学卒業後、大阪商船に入社。別府支店を経て松山の高浜支店へ赴任。昭和7年、伊予商運設立に参加、取締役として同31年の辞任まで海運業に従事した。
 この人の俳句はじめは大正14年、大阪商船高浜支店時代である。当時支店長とともに、酒井黙禅に師事。翌年から「ホトトギス」に投句。「漕ぎめぐる濱の明りやちちろ虫」で初入選。昭和2年、虚子・王城・橙黄子・久女・つる女などが大挙松山に来て、道後で開かれた関西俳句大会で大いに刺激を受ける。以来、虚子帰郷の折々に親交を深め、高浜家墓所の管理にもあたった。
 「永く松山に住み、知己多く、地理にくわしく、松山人より松山を愛し、時によると松山言葉を使う。松山人になりきっている。また、世話好きである。頼んだことは嫌とは言わず、労を惜しまずやってくれる」とは、虚子の晋平評。昭和20年、黙禅より「柿」主宰を引き継ぎ、愛媛ホトトギス会長となって後進を指導。同35年引退。句集「初凪」を残す。同40年没。

 秋日和少しはゆれよ船らしく

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