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村上霽月
村上霽月の碑 村上霽月の句 村上霽月の肖像

 俳人であり、実業家村上半太郎でもあった。明治2年8月8日、旧伊予郡垣生村(現松山市西垣生)に生まれた。明治25年夏、第一高等学校を中退して帰郷、家業を継ぎ今出(いまず)絣株式会社の社長となる。俳句への関心はそのころから。
 中央の名ある宗匠や、学校の先輩である子規や鳴雪の指導を受け、とくに子規を通じて漱石とは親しかった。同30年「ほととぎす」の選者となり、同年「今出吟社」を結成、晩年まで地元俳人の指導に当たったが、漢詩に俳句で唱和する転和法の創始であろう。
 大正9年秋のある日、漱石の漢詩を読んでいたら、その感興がふと句になったという。漱石の「出門所思多 春風我衣」に対する「菜の花や東京を距る三百里」、王陽明の詩「金骨蔵霊塔神光明遠峰」に転和する「紫に匂う霞や春蘭けて」などが転和吟の一例。
 また、昭和8年には絵に俳句を配する「題画吟」もはじめ「業余俳諧」を主唱、俳句の伝統性に新生面を開いた。昭和21年没。俳句の里めぐりコース第13番。

 御野立能巌や薫風二千年(おのだての いわおやくんぷう にせんねん)
 新涼の北斗輝く梢哉(しんりょうの ほくとかがやく こずえかな)

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