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富沢赤黄男
富沢赤黄男の碑 富沢赤黄男の句 富沢赤黄男の肖像

 本名は正三。明治35年愛媛県西宇和郡保内町(現八幡浜市)生まれ。早稲田大学を出て国際通運東京本社に勤めたが、昭和5年帰郷。地元の人たちと俳句を始め「ホトトギス」に投句したが一度も入選しなかったという。しかし、同11年日野草城の「旗艦」創刊に参加してからは、その句は不思議な光芒を放ちはじめる。
 12年召集されて中国を転戦、「落日をゆく落日をゆく真赤い中隊」「戛々とゆき戛々と征くばかりなり」、赤黄男は広野の戦地の幻想と困憊、郷愁と絶望を謳いつづけた。
 同15年マラリヤで内地に転送されたが、翌年9月再度召集。砂塵と落日。銃声と靴音の大陸から、こんどは守備地北千島・占守島(しゅむしゅとう)でおびただしい流木に相対した。「流木よせめて南をむいて流れよ」を詠む。戦後「太陽系」を創刊、27年には「薔薇」を創刊主宰した。
 有季定型を超えた赤黄男の俳句は、伝統的俳壇からはついに受け入れられなかったが、その純粋な詩魂に共鳴するものは多い。37年3月死去。

 蝶墜ちて大音響の結氷期
 草二本だけ生えている時間

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