テレビタイトルデザイン

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タイトルデザインの現場
報道番組のタイトル一例  

 ユニックの業務には、通常のグラフィックデザインの他に、NHK松山放送局におけるテレビタイトルデザイン業務がある。創業以来の実績があり、5人のタイトルデザイナーが高性能グラフィックコンピュータを駆使して、毎日の放送で使われるアニメーションを含む画像及び静止画を、昼夜を問わずリアルタイムで制作している。地域の視聴者にニュースや番組の内容を分かりやすく伝えるのが彼ら情報系デザイナーの役割である。

テレビグラフィックの創生期

開局ポスター ここで、テレビ放送におけるグラフィックの歴史に見ておこう。
NHK松山放送局でテレビの放送が開始されたのは昭和32年。テレビスタジオが完成し、ローカルテレビニュースが本格的に開始されたのは35年であった。もちろんモノクロ放送である。(写真は開局当時のポスター)
当時、字幕や図表を放送に乗せる手段は三つであった。
一つは適当な大きさのボードに描かれたものを直接スタジオカメラで撮影してオンエアする方法。この手法は現在でもパターンと呼ばれ、スタジオで出演者が紙芝居のようにフリップしたり、手持ちで解説したりするものによく使われている。

 二つ目はこれら紙に描かれた図画を16ミリの映画カメラで撮影し、現像・編集して、プロジェクターを通して放送する。この方法では工程に時間はかかるものの、コマ撮りなどでアニメーション表現も可能なので、高度なタイトルデザインに利用されていた。

 第三の方法がもっとも一般的なもので、アメリカで開発された「Televison Opaque Projector」を使う方法であった。これは4×5インチ規格のカードに描かれた字幕や図表をキャタピラーと呼ばれる鎖状に連結されたフォルダー2本に交互に入れ、2台のカメラを切り替えながら撮影して台本順に放送するというものであった。テロップ2テロップ1
因みにこの「テレビジョンオペークプロジェクター」を短縮して「テロップ」という放送用語が生まれた。デジタル化された今日でもその実体は何もないが、字幕などのことを「テロップ」と呼ぶことが概念として一般化しているのは周知のとうりである。

(図版は当時のタイトルテロップ)
 この当時のタイトルデザインは手書きが主であった。7ミリ四方に粒をそろえてポスターカラーで文字を書くには高度なレタリングの技能と訓練を必要とした。昭和40年代に入って、印刷業界で普及していた写真植字機がテレビでも使われはじめたが、速報性が要求されるニュースの世界では熟練したデザイナーの手書きスピードが威力を発揮した。

写真植字機について

 テレビ局に導入された写真植字機、いわゆる「写植」は、当初は印刷用のものがそのまま使用されていたが、スーパータイトルに使用される白抜き文字を作成する工程の煩雑さや、専門のオペレーターを必要とするなどでテレビ局の実情にはマッチしなかった。
そこで昭和39年ごろ、テレビ局でデザイナー自身が容易にハンドリングできる写植機というコンセプトで、(株)写研とNHKが共同開発したのが「スピカテロップ」といわれるものだった。このスピカテロップが印刷用の写植機と大きく違う点は、文字盤の配列と見え方、級数の単位、それと現像の方法にあった。

 まず、文字盤の配列はこれまでの「一寸の巾式」というプロのオペレーター向けの法則ではなく、単純に五十音順としたこと。テレビでは印刷物のように大量のテキストを印字する必要はなく、字幕等のタイトルデザインに必要な程度の印字量で事足りることがその大きな理由であった。
また、文字盤の字体の見え方は、印刷用途機では文字を裏返した逆像で見るのに対し、テレビ用の文字盤は表から見える正像になっていた。
これは印画紙に白抜きの文字を作成するために必然的なことではあるが、これも容易な操作に貢献することとなった。
 文字の大きさを表す級数は1級0.25ミリである。しかし当時のテレビでは印刷物ほどの精度は要求されなかったことから、級数の単位を倍の1級0.5ミリとした。したがって20級の大きさは印刷用の写植機では5ミリ四方の文字となるが、テレビ用では10ミリ四方の文字となる。
そして現像方法には、明室で処理できる拡散転写法が採用された。印画紙のサイズは初めからテレビ用として、横5インチ縦8インチ、つまりテロップカード2枚分の大きさのものが使用された。
はじめにマガジンに装填されたネガ印画紙に逆像で文字を印字し、これを転写するポジ印画紙の膜面にあわせて現像機を通すことで正像白抜き文字を得るという方法である。印字後およそ1分で目的の字幕が作成できるようになったのである。

 しかしこの「写植の時代」も、機種を更新するごとにより便利な機能を付加してきたが、昭和60年代に入って電子文字発生装置が実用化されるとその使命を終え、写植機は印刷業界より一足早く放送の現場から姿を消していった。

デジタルの時代

 昭和62年、本格的に電子文字発生装置が稼働する。装置本体、キーボード、CRTモニタ、ビデオプリンタで構成されていた。あわせて静止画入力装置、静止画ファイル装置、そしてEグラフと呼ばれる電子図形発生装置も稼働する。また、これらを補完するものとして写研が開発し、写研書体が使える多書体発生装置テロマイヤーと呼ばれるものも導入された。
この時代からタイトルデザイナーのワークフローは大きく様変わりすることになる。もはや「テロップ」は物理的な存在意義を失った。同じようにDTPが実用化されてグラフィックデザイナーの仕事や方法が変貌し始めたころより10年以上も前のことであった。

 当初はQUANTEL HAL(その本体は家庭用冷蔵庫ほどもある大型コンピュータ)がメインマシンとして稼動していたが、エレメントづくりにはPhotoShopやIllustrator等の汎用グラフィックアプリケーションも使用した。いずれもWindows版である。そしてパターン等の出力にも大判インクジェットプリンタとの組み合わせでパソコンが利用されるようになってきた。

 このようにテレビグラフィックスは最も早くデジタル化が進んだデザイン分野だ。今日では放送そのものがデジタルに完全移行し、それに伴ってハイビジョン制作システムが導入されている。
その核となるのはラムダシステムズ社のハイビジョン電子文字装置だ。オペレーション端末のCPUはインテル Xeon 3.40GHz デュアルプロセッサ搭載の高性能ワークステーション。ソフトウェアはAdobe Creative Suiteで、映像ソフト Premiere ProやAfter Effectsなどがプリインストールされている。Adebe CS等で作成された汎用画像は、いずれもhsaファイル(ラムダ・アニメーション形式)に変換してHV電子文字装置に読み込み、統合された電子台本となりオンエアされている。
このような環境を優れた技能でハンドリングできるタイトルデザイナーの役割は今後ますます重要となってくるだろう。(クリックで次ページ)

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